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3.11の記憶(園長としての長い1日)その1:発災後の保育者たちの行動

2011年3月11日、当時私は東京都内の認証保育所の園長をしていました。
2008年の立ち上げから園長として携わってきた思い入れのある保育園。

3.11のあの日は30名ほどの子どもたちと7~8名の職員で保育を行っていました。
乳児クラスはみんな起きておやつの準備をしていました。
幼児クラスは午睡時間が終わる頃で子どもたちは目が覚めてまだ布団でゴロゴロしている子がほとんどでした。
年度末ということで、私自身はほぼ一日中事務室で様々な新年度の準備等に追われていました。

ちょうど新入園児の保護者へ電話を掛けているとき、あの地震が起こりました。
大きな揺れではありましたが、物が倒れるほどではなく、
先生方も冷静に子どもたちを保育室の中央に集め昼寝で使っていた布団を被せて
揺れが収まるのを待っていました。

1度目の揺れは、正直みんな何が起こったのかわからない、という表情で
先生たちは子どもたちの上に覆いかぶさるようにして守っていました。
振り返ると、繰り返し行っていた訓練が生かされたというよりは、
ただ子どもたちを守ろうと必死だったという感じでした。

2度目の揺れのほうが長く大きく感じ、
若い先生方が少しパニックになって「まだ揺れますか?外に逃げたほうがいいですか?」と
不安げに聞いてきたり、涙目になっている先生もいました。

普段の避難訓練では、揺れが収まったらすぐに園外に避難をするということをしていましたが、
外が安全なのかもわかりません。

そして、この時初めて災害はその先もわからないということに気づかされました。
これ以上大きな揺れが来るのか、建物が崩れるのか、火事になるのか、
自分自身も全くわかりませんでした。

私自身園長とはいえ、まだ30代前半でいきなり子どもと職員合わせて40名近い命を
守らなければならないという大きな使命がのしかかってきたのです。

普段であれば、何かトラブルがあれば本部へ連絡をして判断を仰ぐことができるけれど、
電話は全く通じない状況。

「自分で判断しなければならない」という覚悟を決め、
まずは保育室内の安全な場所を見極め、そこで待機をさせることにしました。

この時に、本当に救われたのがパートさんたちの行動力です。

当時園に勤務している7割がパートさん。
そして、ほとんどのパートさんが子育て経験もあるベテランばかり。
保育士の資格は持っていなくても、人生経験は私よりも長く、いろんな試練を乗り越えてきている方々。

だからこそ、とっさの判断力はずば抜けている!

「長期戦になるかもしれないから、食料確保しましょう!」
「自宅が遠い先生たちは早めに返してあげたほうが良いのでは?」
「ワンセグで今の映像見れますよ!」

と、次々と提案してくれたことで、私自身ためらうことが減り、みんなで一丸となり子どもたちを守ることができました。

若い先生たちの中には、実家が東北地方だったため、両親の安否がわからず
不安で保育ができなくなってしまった子もいましたが、みんなでその子を支えていました。
そして、子どもたちにも安心させられるような言葉がけをしたり、あえて笑顔で接するようにしたりと
これこそが「プロ」なんだと感じる場面でもありました。
あの時一緒に乗り越えてくれた先生たちには今でも感謝しています。

(その2につづく…)

※3.11では私がいた東京都内では震度5強の揺れでした。近隣に大きな被害はなかったものの、
少し離れたところで煙が見えたり、しばらくの間救急車の音が鳴り響いていました。
ただ、地震直後は全く情報が入らず、どのくらいの揺れだったのか、余震が続くのかわからず、
もしかしたらまだ本震がこれからなのかも、という不安もある状況でした。

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