3.11では初めて、保護者と連絡がつかないという事態に陥りました。
当時はまだスマホもそれほど普及していない時代。
今のようにアプリでの一斉配信などもできず、
保護者との連絡は電話がすべてでした。
しかし、大きな災害によって電話は繋がらなくなってしまい、
保護者が今どこにいて無事なのかも全くわからない状況が何時間も続きました。
発災後30分ほどは電話を掛け続けてみましたが、
それをあきらめ、電話が来るのを待つことにしました。
そうこうしているうちに近くで働いている保護者が迎えに来るようになり、
少しずつ園に残る子どもの数は減っていきました。
小学生のお子さんを持つパートさんはお子さんのお迎えのために帰しましたが、
近くに住むパートさんが応援に駆けつけてくれたことで、
人手に困ることは幸いありませんでした。
発災がちょうどおやつ前の時間帯。
お腹を空かせた乳児もいたり、子どもたちも不安な様子があったため、
おやつを提供することにしました。
今後の断水の可能性も考え、食器は使わず、お菓子を手渡しであげる方法にしました。
おやつを食べ始めると子どもたちも少しずつ落ち着きを取り戻し、
いつもと違う環境を楽しむ余裕も見えました。
応援に来てくれたパートさんが、
近くのスーパーで大量に食料(おにぎりやおせんべいなど)を買い込んで来てくれたことで、
長期戦になる覚悟もなんとなくできたようです。
(考えてみると、あの当時は備蓄食をほとんど用意していなかったなと反省…)
またいつ来るかわからない余震に備え行ったことは、
①全員同じ部屋で過ごす
②子どもの傍に布団や防災頭巾を置く
③おんぶ紐をあるだけ用意しておく
④玄関のドアは開けておく
⑤防災リュックを玄関に置いておく
⑥靴はすぐ履けるように玄関に並べておく
⑦停電に備え懐中電灯などを準備する
などです。
ルールとして決めていたわけではありませんが、思いつく限りのことを素早く行っていました。
みんな同じ部屋で過ごしたことは、とても良かったと思っています。
災害時はみんな不安になるのは当然のこと。
一緒に過ごすことで安心感を得ることができたからです。
子どもたちは先生がいつもよりたくさんいることで嬉しかったようで、
とても楽しそうに過ごしていました。
家族のことが心配だった先生も、周りの先生たちが励ましてくれて、
子どもたちと過ごすことができて少し気持ちが落ち着いたようでした。
考えてみると、保育室は監査でも厳しくチェックされるため、
室内の安全対策というのは徹底しています。
ガラスの飛散防止や照明には飛散防止フィルムも貼ってあり、棚はすべて固定済み。
そのため、再度大きな地震が来たとしても物が落ちるという恐れもなく、
園内にいるのが安全だという判断になりました。
もしも今、まだ棚の固定をしていなかったり、吊戸棚を開けっ放しにしているなどがあったら、
それだけは必ずやっておいてほしいと思います。
避難場所へ行くという判断は、本当に最終手段です。
例えば、建物倒壊や津波、延焼火災の危険があればすぐに避難する必要がありますが、
その心配がなければむやみに移動することは大きなリスクとなります。
施設内で避難生活をすることを考え、何が必要かを改めて見直すことも大事だと思います。
さて、保護者たちは発災後どのように子どもたちを迎えに来たか…
次回お伝えします。
(その3につづく…)
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